2008-11

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<ひまひま歴史散歩>畠山重忠ゆかりの地を巡る

 なんかネタはないかと「二俣川」で適当に検索していたら、「二俣川古戦場」のページが出てきました。深谷市教育委員会による『畠山重忠辞典』
 深谷市は畠山重忠生誕の地で、だからこのようなホームページがあるわけですが、その中でゆかりの地として掲載されている「二俣川古戦場」。写真も掲載されているのですが、一体これはどこにあるのか…?? 長年二俣川で暮らしていたのに全く分からない。これでは深谷市の皆様に申し訳が立たぬ(←そうなのか?)というわけで、旭区のホームページなどから情報を探しあさってみました。
 するとどうも、深谷市のホームページに写っている写真は、旭区役所近くにある「畠山重忠公碑」であり、かつてはこのあたりで二俣川と帷子川が合流しており、一帯を「二俣川・鶴ヶ峰古戦場」と呼ぶらしいことが判明。そんなわけで、今回は鎌倉武将畠山重忠を偲んでのひまひま散歩です。

二俣川合戦の地

 区役所向かい、厚木街道と水道道の交差点脇に、「吾妻鏡 畠山重忠公終焉の地」「鶴ヶ峰・二俣川合戦の地」と書かれた道標がありました。吾妻鏡は鎌倉時代の歴史書。二俣川が歴史ある土地であることがわかります。

重忠公碑

 これがその畠山重忠公碑(逆光ですみません)。合戦の地を見下ろすように立っています。昭和30年6月22日、畠山重忠没後750年を記し、地元・鶴ケ峰と埼玉県川本村(現・深谷市)の有志により建立されたということです。

合戦の地を望む

 かつてこの地で激しい戦いが繰り広げられたのだなあ…と、歴史に疎い管理人も、遠い昔に若干思いを馳せつつ川の流れを眺めるのでした。

さかさ矢竹

 重忠公碑の近くに植えられた、「さかさ矢竹」。重忠が矢に当たって討ち死にする前に、「我が心正しかればこの矢に枝葉を生じ繁茂せよ」と絶句して、矢を2本地面に突き刺したものが根づき、毎年2本ずつ増えて茂り続けた…というもの。昭和40年代までは区役所近くの土手に茂っていたのだが、その後消滅してしまい、没後800年に当たる平成17年に現在の地に再び植えられたそうです。

 続いて区役所の裏手のほうへ向かってみます。

首塚

首塚2

 マンションの脇にひっそりと残る「首塚」。畠山重忠の首が愛甲三郎によって斬られ、祭られた所だそうです。

首洗い井戸

 「鎧の渡し」は鎌倉街道が帷子川を渡る場所で、川幅が広く、武士が頭に鎧をのせて渡ったと伝えられているもの。重忠の首を洗い清めたといわれるのが「首洗い井戸」。今では川の流れも井戸も無いので、そうだったのかと想像するしかありません。

古戦場看板

 古戦場一帯を案内する看板です(クリックすると拡大します)。他にも、駕籠塚や六ツ塚といった史跡があるのですが、疲れたので今回はこれでおしまい(←やる気あるのか)。続きはいずれまた。
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