2019-08

新春特別企画!?フタマタからニコタマへ

二子玉川駅名票

 突然ですが、用も無いのに来てしまいました。フタマタならぬニコタマに。
 東急の駅名票は平仮名なので、ぱっと見、ますます「ふたまたがわ」に見えてしまうような気が。

二子新地駅ホーム

 今回は、二子玉川と多摩川を隔てて隣り合う、川崎市内の二子新地駅で下車。

二子新地駅前

 お洒落なイメージの田園都市線「~台」「~野」「~が丘」各駅と違い、ここ二子新地駅はどこか相鉄の駅前と似た雰囲気です。

二子神社

 駅近くにある二子神社。鳥居の向こうに、謎のオブジェが見えますが。

岡本かの子文学碑

 これは「岡本かの子文学碑」。地元有志により昭和37年に建てられたとのことで、モニュメントが岡本太郎、台座が建築家の丹下健三によるもの。

二子橋

 多摩川にかかる二子橋。

二子橋を渡る

 二子橋を渡り、二子玉川へと向かいます。

田園都市線

 橋に沿って、田園都市線が走っています。かつて、電車が「玉電」と呼ばれる路面電車だったころは、この二子橋を車や歩行者と一緒に渡っていたそうです。

二子橋から新二子橋

 反対側を眺めると、246号の新二子橋が。

ライズ

 二子玉川に着きました。最近できた再開発ビル、二俣川ライフ…ならぬ二子玉川ライズ。でかい!

堤防

堤防

 再開発地域のすぐ横は、このように土で盛られた堤防になっています。川から若干離れていて、堤防の内側にもビルや住宅が建っています。なぜこのような地形になっているのかわからない。

二子玉川駅

 駅と直結した再開発エリアへと入ります。

ライズ内

 何と言うか、広くて新しくてきれい、と小学生みたいな感想しか無い。

玉川高島屋

 駅の反対側には、玉川高島屋が(イモムシみたいですね??)。かつて玉川高島屋は、高島屋と相鉄が出資した横浜高島屋が運営していたそうですが、横浜高島屋が高島屋本体に吸収されたため、今は相鉄の資本は入っていません。

 特に買い物も無いので、ニコタマ初散策はあっという間に終了、そそくさと帰ることになりました。駅近辺は賑やかで、道行く人たちも二俣川に比べるとお洒落な感じがしましたが(お前が言うな、と言われそう)、ちょっと駅を離れると自然もあるし静かだし、住みやすい街なんだろうなと(住めるかどうかは別として)思いました。

<おまけ>
池上本門寺

 せっかくなので、電車を乗り継いで池上本門寺へ。

池上駅

 ローカル色あふれる池上駅。何だろう、ニコタマよりこっちのほうがおちつく・・・(笑)。

東急蒲田駅

 東急蒲田駅。西の阪急梅田駅を彷彿とさせる立派なターミナルです(ただし、こちらは3両編成ですけど…)。

 そして、羽田空港へと向かい、直行バスで二俣川まで…というひまひまルートで帰ってきました。
 羽田直行バス、平日の昼間にも関わらずかなりの乗車率でびっくり。小さな子ども連れも多かったです。遅い正月休みなのかな?
 すぐ前の座席に座った初老の夫婦、親父がビール臭い息をハーッとまき散らしていて(深呼吸??)まいった。しかも、いい気持ちになってるのか、「『相鉄ハイウェイクルーザー』だってよ、バスじゃねえんだってよ、クルーザーだって」「バスの色も電車の色もバラバラで、所詮三流私鉄だよ、三流私鉄」などとつまんないことばかり言っていてさらにまいった(大抵こういう旦那さんの奥さんは良くできたもので、ひたすら聞いているのみです)。まあ確かに三流かも知れないけど、あなたが利用するには丁度いいでしょう。

帰ってきた二俣川

 などと、これ以上書くと差し障りがありそうなのでこのへんにして。帰ってきました二俣川。三流私鉄の沿線だとしても(←しつこい)、やっぱり生まれ育った街が一番落ち着きます。

※今回の地図はこちらです→ 地図

<ひまひま歴史企画>重忠紀行・最終回

 ああ、もうすぐ今年も終わってしまう・・・!
 というわけで、しばらくほったらかしだった重忠紀行、駆け足で進めます。今回は、重忠終焉の地、地元旭区です。

首洗い井戸

首洗い井戸説明

 まずは旭区役所の片隅にある「首洗い井戸」(看板の写真はクリックすると拡大します)。重忠の首を洗い清めたという井戸があったそうなのですが、面影は全くありません。

首塚

首塚2

首塚説明

 そのすぐ近くにある「首塚」。重忠の首が祭られた場所とのこと。生々しい名前が続きます。

合戦の地

二俣川古戦場

 以前も取り上げたと思いますが、区役所前の一帯が二俣川古戦場。ここで激しい戦いが行われ、重忠は命を落としたわけです。

畠山重忠公碑

重忠公碑説明

 そこにあるのが、畠山重忠公碑。鶴ヶ峰と埼玉県川本村(現・深谷市。「畠山重忠公史跡公園」があったところ)の有志が建てたそうです。

さかさ矢竹

さかさ矢竹説明

 その横には「さかさ矢竹」が。説明文を読むと、やや(と言うかかなり)眉つばっぽい伝説ですが…。
 馬を背負って崖を下りた伝説同様、重忠がすごい人であったということを表しているのでしょう。

矢畑・越巻

矢畑・越巻周辺

 水道道をしばらく行くと、「矢畑・越巻」が。北条勢が射た矢が一面に落下し、矢の畑のようになったとのこと。
 現在の風景からは全く想像がつかないですが…。

水路橋

 続いて、残りの史跡を回るために16号を渡って反対側へ。
 見たことのある構造物が…と思ったら、以前若葉台で出会った「川井鶴ヶ峰道水路」の水路橋でした。
 …というかまた道に迷ってしまった。

薬王寺

 何とか目指す薬王寺に到着。

六ツ塚

六ツ塚説明

六ツ塚2

 ここに、主従一同が葬られたという「六ツ塚」があります。このこんもりした地面がそうですよね。実は3つしか見つけられませんでした。6つあるのかな??

鶴ヶ峰神社

 なんだか打ち切りマンガのごとき駆け足ですみません。「鶴ヶ峰神社」の看板を目印に進みますと。

駕籠塚

 近くにあるのが「駕籠塚」。

駕籠塚2

駕籠塚碑文

 夫・重忠の死を聞いた内室が、悲嘆に暮れて駕籠の中で自害したという、悲しい話が残っている地です。

かえる

かえる2

 重忠と全く関係無いですが、鶴ヶ峰浄水場周りのフェンスに貼られていたかえるくんです。浄水場は何か工事をしているようで、中は見えませんでした。かえるくん、見覚えがあるけど、名前はあるのかな?
 このあたり、桜の時期はとてもきれいだと、散歩中の方に教えていただきました(かえるくんもお花見してますね)。

鶴ヶ峰風景

鶴ヶ峰風景2

 鶴ヶ峰の高台から、昔に思いを馳せつつ…(クリックすると拡大します)
 重忠紀行、今回で終わりです。皆様、よいお年を。

※ 重忠紀行の地図はこちらです→ 重忠紀行マップ

<ひまひま歴史企画>重忠紀行・第3回

鶴岡八幡宮鳥居

 いざ鎌倉、ということで鎌倉にやってまいりました。

鶴岡八幡宮鳥居2

鶴岡八幡宮境内

 鶴岡八幡宮。平日なのに、鎌倉は観光客でいっぱいです。

東鳥居

 人波を外れて、こじんまりした東の鳥居へ。

東鳥居2

 鳥居を出たところに、石碑があります。

重忠邸跡

 「畠山重忠邸址」とあります(クリックすると拡大します)。ここに、鎌倉での重忠の屋敷があったんですね。

東鳥居周辺

 屋敷跡あたりは、周辺の喧騒がウソのような、静かな住宅地です。

玄翁

 小町通り近くまで戻り、かつて二俣川にあったラーメン屋「玄翁」(元「はま玄」)で昼食。がんこ親父のラーメン屋、といった風情です。この日は11月だというのに暑い!のでつけ麺を選択。二俣川時代には考えられなかったような若い女の子グループが入ってきて、あれにしようこれにしようと賑やかでした。

由比ヶ浜

 由比ヶ浜まで歩いてきました。

由比ヶ浜2

 この地では、まだ平家に従っている頃の重忠が、三浦一族と激しく戦ったとのこと。
 そして重忠が二俣川で討たれる直前、息子の重保もまた、この由比ヶ浜で北条氏に殺されています。

 そんなたくさんの血が流されたであろうことなど信じられないくらい、湘南の海辺で過ごす人々は皆、穏やかで幸せそうに見えました。

タンコロ

 近くの公園には、江ノ電の旧型車両「タンコロ」が保存されています。

タンコロ車内

 車内にも入れます。椅子は木製!

タンコロ側面

 でも…。いたずら防止でしょうがないとは思いますが、金網の向こうにいるタンコロは、どことなく悲しげに見えました。

 つい趣味の話題に走ってしまった。次回はついに、終焉の地、地元旭区です。

※ 重忠紀行のこれまでの地図はこちらです→ 重忠紀行マップ

<ひまひま歴史企画>重忠紀行・第2回

秩父鉄道

 前回の続き、今度は重忠が生まれた地へ向かいます。東上線から秩父鉄道に乗り換え、永田という駅で下車。

永田駅

 ほんとにちっちゃな駅。でも、駅員さんもいます。

重忠橋

重忠橋欄干

 しばらく歩くと、その名も「重忠橋」が。

重忠橋からの眺め

 重忠橋からの、荒川の眺め。あいにくの曇天ですが、極度の雨男としては降られないだけでも喜ばないとなりません。

畠山重忠公史跡公園

史跡公園看板

 橋を渡ってすぐのところに、「畠山重忠公史跡公園」がありました。

重忠銅像

 銅像もあります。

銅像アップ

 かっこいい! 一ノ谷の戦いの逆落としで、馬を背負って崖を下った、という伝説に基づいているそうです。
 まあ正直、そんなわけ無いだろという話なのですが、それだけ力持ちだったという言い伝えなのでしょうね。

重忠墓

重忠墓2

 小さな公園内に、重忠の墓があります。

解説スイッチ

 なんと音声案内スイッチつき。ボタンを押すと、スピーカーから解説が流れます。公園には他に誰もいませんでした。

重忠墓説明看板

 説明の看板(クリックすると拡大します)。地元の人に大事にされていることが伝わります。

貨物列車

武川駅

 帰りはちょっと歩いて、お隣の武川駅まで。こちらが正式な最寄駅になっているみたいだけど、けっこう遠い(疲れた…)。
 秩父鉄道はセメント用の石灰石輸送が盛んで、貨物列車が頻繁に行き来します。

武川駅にて

 小さな男の子も、機関車に興味津々。
 さて、埼玉を後にして、次回は鎌倉を訪れます。

<ひまひま歴史企画>重忠紀行・第1回

場面1

これは、

鎌倉時代においてひたすらにまっすぐに生き、

そして二俣川の地で散っていった

一人の武将の物語である・・・


(文字が縦にスクロールしていると思ってお読みください)

場面2

「かかれ~!!」

題字

♪ パッパパ~ ♪ (テーマ曲)


武蔵嵐山駅

 ・・・すみません、ちょっとやってみたかったもんで、調子に乗ってしまいました。

 そんなわけで、池袋から東武東上線に乗って約1時間。埼玉県の武蔵嵐山(むさしらんざん)駅に降り立ちました。

武蔵嵐山駅前

 どこか寂しげな駅前通りを歩いて向かった先は。

菅谷館

 重忠の館があったという菅谷館跡です。

菅谷館説明

 菅谷館についての説明看板(クリックすると拡大します)。

菅谷館と重忠説明

 そして、菅谷館と重忠についての説明(クリックすると拡大します)。
 重忠は、「鎌倉に異変あり」の報に接しここを出発し、そして二俣川で北条軍と相対し、命を落とすことになるのです。

菅谷館跡1

菅谷館跡2

 当時のこの地がどんな様子だったのか。歴史に疎い私にはなかなか想像がつきません。

重忠像1

 短い石段を上ると、重忠の石像がありました。

重忠像2

 なんかこの顔、誰かに似ているような気がするんだけど…。誰だ??

 さて、敷地内にある「嵐山史跡の博物館」に入ってみました。

重忠ロボ

 いきなりお出迎えしてくれる重忠ロボ。「ようこそいらした~」みたいなことを喋るんだけど、動きがロボっぽくて(ロボなんだけど)、ちょっと怖い。

おばあさんロボ

 こっちはおばあさんロボ。民話を喋ります。

おばあさんアップ

 だから怖いって!(泣)

菅谷館のぼり

 管理人がこうしてこわいこわいとふざけている間にも、歴史好きの人はまじめに展示物に見入っていました(すみません)。

 さて、この後は重忠生誕の地へと向かいましたが、長くなりましたので続きはまた次回。


<おまけ>

ゆあ東上

 東上線の広報誌『ゆぁ東上』。
 このネーミングセンス、嫌いじゃありません(むしろ好きかも??)。
 今月は、駅長おすすめの川越スポットを紹介していました。路線別の広報誌って珍しいんじゃないかな。

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